「敵基地攻撃能力」を保有しようという議論が急浮上している。北朝鮮、中国、ロシアの新型ミサイル開発への懸念が広がる中、陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」断念の穴埋めという話だ。
安倍晋三政権の安全保障政策を支持し、あるいは尻を叩いてきた読売や産経も、イージス・アショア断念当初には敵基地攻撃などほとんど触れもしなかったのが、自民党内の声で火が付いた。ことは専守防衛という原則から逸脱しかねない大テーマであり、新型コロナウイルス対策の陰にかすませるわけにはいかない。
発端は6月15日、河野太郎防衛相が秋田、山口へのイージス・アショア配備について、技術的問題、コスト上の観点から、計画の停止を発表したことだ(その後正式に断念)。その代替として自民党国防族を中心に敵基地攻撃能力保有論が再燃した。
それを受け18日に安倍晋三首相が「新たな議論をしていきたい」と表明、24日の国家安全保障会議(NSC)で代替案の検討を開始し、外交・安全保障政策の基本方針である「国家安全保障戦略」を見直して、年内の改定を目指すとした。自民党は7月中に「提言」をまとめる方針で、政府は安保戦略の議論の中で、敵基地攻撃能力も検討することになる。
法理(法の論理)として、敵基地攻撃は可能というのが政府の公式見解だ。1956年、時の鳩山一郎首相の「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」との答弁に基づき、「他に手段がない」場合に限り、敵のミサイル基地をたたくのは「自衛の範囲」との見解を踏襲してきている。
特にここにきての保有論は、北朝鮮をはじめ各国がミサイルの高性能化を図る中、空中で迎撃して撃ち落とすというのは不確実性が高く、迎撃網構築のコストも高くつくから、発射される前の敵基地をたたく方が技術的にも容易、かつ安上がり――という理屈だ。
自民党は2013年、2018年の防衛大綱の改定の際に敵基地攻撃能力保有を提言してきた。政府は専守防衛を逸脱しかねないとの指摘を考慮し、見送ってきた。
だが、安倍首相自身は2017年2月にも「検討は常に行っていくべきだ」と答弁するなど、政府・自民党全体では「チャンスをうかがってきた」(大手紙論説委員)との見方もある。
積極派の佐藤正久・前副外相は「撃たれたものを撃ち落とす『拒否的抑止』だけでは相手は痛くない。抑止を機能させるためには、撃ったら反撃されるという『懲罰的抑止』が必要だ」(毎日電子版7月13日)と指摘している。
敵基地攻撃が、敵が攻撃に「着手」した段階で可能とされるが、これについて河野防衛相は7月9日の参院外交防衛委員会で「個別、具体的な状況で判断する」と述べるにとどまり、「着手」の具体的な定義は明らかにしていない。
また、自民党内では「敵基地攻撃能力」という言葉が国際社会で一般的でなく、先制攻撃と受け取られかねないなどの理由から、「自衛反撃能力」などと名称を変更することも検討されている。
一方、自民党内でも岩屋毅・前防衛相が「自衛隊が、常に敵基地を攻撃することを目的とする体制をとり、それを抑止力と位置づけることとは似て非なるものだ。……これまで我が国が持たない、持てないとされてきた装備体系に近づいていかざるをえない。自衛隊の装備体系や性格を大きく変える恐れがある」(毎日電子版7月13日)と指摘するなど、慎重論がある。
また、藪中三十二・元外務次官(5日TBS「サンデーモーニング」)は、相手が撃つ準備をしている情報が、ミサイルが固形燃料になって事前の動きがわかりづらい、また相手が多数の基地に数百発のミサイルをもっているときにどこを攻撃するのか――などと疑問を呈し、「平和を作る外交を含めた本格的な安全保障戦略が必要。拙速に『コストが安い』とか、考えられない議論だ」と批判。岩屋氏や藪中氏のような声が伝統的な自民党の考えであり、外務省などとも共有していたといえる。
与党・公明党は敵地攻撃能力が専守防衛の理念に反するとの立場で、自民内の議論に対し「振り子が振れている」(15日、浜地雅一・党外交安全保障調査会事務局長)と懸念している。
当面、自民党や政府の議論を注視する構えだが、山口那津男代表も「我が国から緊張を高めるような政策をとることのないような配慮を含めた議論が重要だ」(14日の会見)と自民を牽制している。
全国紙はこの問題を大きく報じ、社説(産経は「主張」)で論じている。積極的な読売、産経に対し、朝日、毎日は慎重、日経はその中間という安保問題でのいつもの構図だ。
読売、産経もイージス・アショア断念当初は「敵基地」には触れず、6月16日朝刊ではイージス艦の負担が重くなることへの懸念を中心に解説し、〈国防体制は不透明感を増してきた〉(産経3面)などと書いた。
産経は17日、「主張」で、旧来から主張してきた敵基地攻撃能力の本格的整備を求めたが、見出しは「地上イージス断念 猛省し防衛体制を見直せ」という一般的なもの。3面の代替案をまとめた大振りの記事でも、本文の中で敵基地攻撃能力に触れつつ、見出しは「電波妨害やサイバー攻撃重視」とあり、米国が電波妨害やサイバー攻撃を重視していることに言及。
読売6月17日の社説にも敵基地攻撃の「て」の字もない。河野防衛相が「イージス艦を増やすという選択肢が考えられる」(16日)と述べていたこともあるだろうが、長い安保論議で敵基地攻撃が専守防衛の観点で極めて微妙なテーマであり、だからこそ政府も手を付けなかったことの傍証といえるだろう。
それが、敵基地攻撃能力が一気に焦点に浮上したのは、安倍首相が18日、国会閉幕に当たっての会見で敵基地攻撃の検討にゴーサインを出したからだ。その後の各紙の主な見出しを拾ってみよう。
朝日=「敵基地攻撃能力に賛否/保有巡り与党内」(6月26日)、「『敵基地攻撃能力』高い壁/相手着手どう定義/装備や費用の課題も/周辺国から反発懸念」(7月8日)、「河野防衛相『議論は当然』衆院安保委」(9日)、「敵基地攻撃能力 定義あいまい」(10日)、「自公に温度差/公明『同じ土俵乗らぬ』」(11日)
毎日=「敵基地攻撃能力 与党に溝/自民推進 公明は慎重」(26日日)、「難問『敵基地攻撃』/憲法、技術、費用」(7月1日)、「敵基地攻撃 じわり再燃/専守防衛と整合性曖昧/実現 技術・コストの壁」(15日)
日経=「敵基地攻撃能力『自営の範囲内』/政府・自民 コストや効果議論へ」(6月30日)、「敵基地攻撃 新名称を模索/先制攻撃との区別狙う」(7月8日)、「敵基地攻撃めぐり防衛相/対象『個別具体的に判断』」(10日)
読売=「敵基地攻撃力検討 『安保の空白』回避狙う」(6月19日)、「敵基地攻撃力巡り論戦/参院安保委/防衛相『違憲の指摘当たらず』」(7月9日)、「敵基地攻撃力の保有議論/自民チーム/有識者が『必要』意見」(7月23日)
産経=「専守防衛『攻め』へ転換点」(20日)、「ミサイル防衛 見直し着手/敵基地攻撃能力も議論/抑止力強化の転機と判断」(25日)、「敵基地攻撃 高まる議論」(7月1日)
ざっと見比べると、朝日、毎日は実際に行うとした場合の難しさや与党内の意見対立などを丁寧に書き込んでいるのに対し、読売、産経は政権の狙い、主張を前面に押し出して必要性を示す記事が中心。日経は、概して敵基地攻撃能力保持に理解を示すトーンだ。
社説はイージス・アショア断念、敵基地攻撃能力、防衛白書、日米安保60年などを主テーマに、各紙、概ね複数回取り上げている。
専守防衛の原則、従来の政策とのかかわりでは、朝日(7月21日)が〈専守防衛の原則から逸脱する恐れがあるとともに、地域の不安定化と軍拡競争にもつながりかねない。……陸上イージスの白紙化を奇貨として、党の年来の主張を実現しようとしているのだろうか〉と牽制。
毎日(8日)は〈敵基地攻撃能力を持てば、周辺国の警戒感が高まり、安全保障環境を悪化させる可能性もある。専守防衛を逸脱することは許されない。冷静な分析に基づき、日本の防衛のあり方を議論する必要がある〉とくぎを刺す。
2紙は敵基地攻撃をする場合の想定しうる問題も取り上げ、朝日は〈憲法上許されるのは、敵が攻撃に「着手」した後になるが、実際の見極めは困難で、判断を誤れば、国際法に違反する先制攻撃になりかねない。北朝鮮のミサイルの多くは地下施設に収容され、……米韓両軍でも目標の特定は難しく、撃ち漏らせば反撃は避けられない。日本による攻撃が、ミサイルの脅威を除く決定打にはならない〉、毎日も〈敵基地を攻撃するには、位置を正確に把握し、相手国の防空網を無力化し、基地までミサイルを正確に誘導する装備が必要だ。専守防衛を原則に積み重ねてきた装備体系を大きく変えねばならず、防衛費も大幅に膨らむ〉と指摘している。
これに対し読売(7月15日)は〈多数のミサイルが発射された場合、すべてを撃ち落とすのは難しい。巡航ミサイルなどで反撃できる能力を確保することは、抑止効果という観点からも理に適う〉と主張。
産経(6月17 日)は〈ミサイル防衛という、相手の攻撃を払いのける「拒否的抑止力」は必要だが、……対日攻撃を独裁者にためらわせる「懲罰的・報復的抑止力」はコストに見合う防衛力の一種だ。……侵略国のミサイル発射基地・装置を叩く敵基地攻撃(反撃)能力の本格的整備に乗り出すときである〉と訴える。
日経は防衛白書を受け7月15日に取り上げたが、白書の内容紹介が中心で、敵基地攻撃能力の検討に着手したことに〈世論を喚起する狙いもうかがえる〉と解説したうえで、〈野放図な装備品購入や防衛関連予算の膨張を招くのは避けるべきだ。……コストや効果を十分に見極めながら安保論議を深めたい〉と、日経としての主張を封印し、財政も踏まえた議論を促すにとどめている。
こうした主張の対立は、〈守りに徹する自衛隊が「盾」、打撃力を担う米軍が「矛」〉(朝日)という日米安保の根幹に関する姿勢の違いでもある。朝日はこの役割分担に照らせば〈(敵基地攻撃の)他に手段がないともいえない〉、毎日は〈(敵基地攻撃)能力を持つことは、日本が「矛」の領域に踏み込み、日米の役割分担を変えることにもなる〉と、役割分担の変質を警戒する。
これに対し、読売は〈日本の役割が増えれば、日米同盟は強化されよう〉(6月23日)、〈米軍が担う打撃力を自衛隊が補完し、同盟を深化させる意義は大きい〉(7月15日)と、役割分担の変更、日本の攻撃力強化を進めろという立場。産経は前記「主張」にこの点への具体的言及はない。
実際に、日本の攻撃力の強化は着実に進んでいる。2017年に射程900キロと、「レーダーの覆域や対空火器(の範囲)の外からの対処が可能」(防衛省)な長距離巡航ミサイルの導入が決まっているし、2020年度予算にはヘリコプター搭載護衛艦「いずも」の空母化(短距離離陸可能な最新鋭ステルス戦闘機F35Bを搭載できるように改修)が盛り込まれている。
「敵基地攻撃が目的ではない」と説明されているが、転用は可能だ。きちんとした議論抜きで、実態が進んでいる。逆に言えば、「敵基地攻撃」の歯止めが亡くなれば、攻撃力強化が加速するだろう。
「敵基地攻撃能力」保有論に火を着けた自民党にすれば「積年の課題」といえるが、公明党を含めた与党全体の議論としては生煮え以前の段階。
安保法制(2015年)のように、法制局長官の首を挿げ替えるなど周到な準備の上に進めたのとは比べるべくもないが、コロナ禍で政権の支持率が低下するなかで、どのように議論が進むのか。
北朝鮮の脅威は、程度の差こそあれ共通認識ではあるが、「国難突破解散」の前例もあるだけに、注意深く見ていく必要がある。
コロナの陰で、「敵基地攻撃能力」保有の議論が急浮上 |
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【論調比較・「敵基地攻撃能力」保有論】朝日・毎日は牽制、日経は理解、読売・産経は必要性主張
ルーマニアのイージスアショア=Reuters
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岸井 雄作(ジャーナリスト)
1955年、東京都生まれ。慶応大学経済学部卒。毎日新聞で主に経済畑を歩み、旧大蔵省・財務省、旧通商産業省・経済産業省、日銀、証券業界、流通業界、貿易業界、中小企業などを取材。水戸支局長、編集局編集委員などを経てフリー。東京農業大学応用生物科学部非常勤講師。元立教大学経済学部非常勤講師。著書に『ウエディングベルを鳴らしたい』(時事通信社)、『世紀末の日本 9つの大課題』(中経出版=共著)。
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