「予防戦争」(Preventive War)という言葉がある。他国が将来の危険となることを防止するため先制攻撃を行う違法行為だ。国連憲章51条(自衛権)は「国連加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には・・・・個別的又は集団的自衛権の固有の権利を害するものではない」と定めている。
攻撃を受ければ自衛権を行使して反撃することは当然だが、どの時点で攻撃が発生した、と言えるかは難しい。
例えば真珠湾攻撃の際、日本の空母艦載機が爆弾、魚雷を投下した時点に攻撃が発生したのか、それとも艦載機が空母から発進した時か、それらが米国領空に入った時か、空母機動部隊が択捉島の単冠湾(ひとかっぷわん)から出港した時なのか、は議論の余地がある。
国連憲章の邦訳では「発生した場合」と過去形だが、原文は”OCCURS”と現在形であり、攻撃が目前に迫っていることが明白な場合には先制的な防衛措置を取ることも自衛権の範囲内と考えるのが妥当と思われる。
他方空母が出港しただけでは単なる訓練や威嚇が目的だったり、発進した艦載機が途中で反転することも十分ありうるからそれを先制攻撃するのは自衛ではあるまい。
予防戦争の典型的な例はナポレオン戦争中の1807年8月、英国艦隊が中立国デンマークのコペンハーゲンを砲撃した事件だ。英海軍はその2年前にトラファルガー海戦でフランス、スペイン連合艦隊を撃破していたが、ナポレオンがデンマークに圧力をかけてその艦隊を支配下に入れ、英国への侵攻に使う可能性が残ったため、英国はデンマークに対し同盟国となるか、艦隊の一時的引渡しを交渉したが拒否された。
このため英艦隊はコペンハーゲンに艦砲射撃、初歩的ロケットによる焼夷攻撃を加えて降伏させ、69隻の艦船を奪取した。デンマークはフランスの要求にも応じず中立を守ろうとしていたから何の非もなく、英国への危険は現実ではなく、将来の可能性に過ぎなかったから英国内でもこの攻撃は野党の激しい非難を招いた。
今回のウクライナ侵攻の理由としてロシアは、「ウクライナはNATOに加盟しようとし、米国等の軍の駐屯をさせようとしている。長距離弾道ミサイルを開発している。ウクライナは原子力発電所5カ所、原子炉15基を持ち、研究所もあり、核兵器開発の潜在能力を持つ。東部に多いロシア系住民を迫害し1万2千人が死亡している」などをあげている。
だがNATOに加盟するには現在の加盟30国すべての同意が必要だ。ウクライナでは分離独立派との内戦が続いており、それに巻き込まれることや、もしロシアとNATOの戦争になった場合、集団的自衛権による参戦の義務を負うことになるから、ウクライナのNATO加盟が全会一致で決まるとは考えにくい。
原発の使用済み燃料から低純度のプルトニウムを抽出できても、核兵器用の高純度のものを造るのは容易ではなく、それをやろうとしている兆候もないことはIAEA(国際原子力機関)が確認している。
ウクライナがモスクワにも届く射程500キロの弾道ミサイルをサウジアラビアへの輸出用に開発したことは事実だろうが、火薬弾頭ではたいした効果はない。
ウクライナ政府軍は2014年東部2州でロシア系住民が「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」が独立を宣言したため、それを平定しようとすでに8年間も戦ってきたから、多数の民兵、民間人に死傷者が出たことはあるだろう。
だが、国内で反乱軍が蜂起した場合、政府軍と戦闘になるのは当然だ。それをロシア側が「ジエノサイド」と非難し、ウクライナへの侵攻の理由とするのは国連憲章第2条が、「武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものを慎まなければならない」と定めているのに反すると言わざるをえない。
今回ロシアはウクライナの武力攻撃を受けて反撃した訳ではなく、急迫不正の攻撃を受ける危険が切迫していた状況でもないから、自衛権の行使ではない。しかもNATO加盟や核兵器開発などの将来の脅威も必然性が乏しく被害妄想に類するものだったから、国際法に違反する「予防戦争」の極端な例だろう。
だが米国はそれ以上に大規模な予防戦争を常習的に行ってきた。ベトナム戦争もその一例だ。フランスの植民地だった仏領インドシナには1940年から日本軍が仏のヴィシー政権(親独)との協定で進駐していたが、44年に米、英等の連合軍がパリに入り、同政権は崩壊したため、日本はベトナム、カンボジア、ラオス3国を独立させた。日本軍が撤退すると仏軍が戻り再植民地化をはかったが、「ベトナム独立同盟会」(ベトミン)は在留した日本軍将校、下士官767人の指導も得て仏軍に抵抗、仏軍は各地で敗北、54年5月にディエン・ビエンフーの盆地に籠っていた最後の仏軍部隊の生存者1万人が降伏した。
停戦協定でベトミン軍は17度線の北、仏軍はその南に集結して兵力を引き離し、仏軍は帰国、2年後に全土統一選挙を行うこと、同盟や武器の搬入も禁じることが決まった。
だが、米国はフランスが調印した停戦協定を無視して「南ベトナム共和国」を作らせ、武器援助や軍事顧問派遣を行い、統一選挙を行わせなかった。このため南ベトナムでは民族解放戦線が結成され、北ベトナムが支援指導してベトナム戦争が始まった。
米国では「南ベトナムが共産化されると東南アジア全域を失う」との「ドミノ理論」が唱えられ米国は南ベトナム軍に大量の武器を供与、ヘリコプター部隊も送ったが、ゲリラ活動は激しくなる一方だった。
1964年8月2日には北ベトナム沿岸で工作員を送り込もうとしていた米駆逐艦マドックスと北ベトナムの魚雷艇が交戦、4日にも「同様の事件が起きた」として空母2隻により北ベトナム海軍基地を爆撃、7日に米議会は大統領に全権限を与える「トンキン湾決議」を行って米国は本格的にベトナム戦争へ突入した。
だが、米海軍は「公海を航行中の米軍艦が攻撃された」と発表し、工作員を上陸させていたことを隠し、4日の”事件”はまったくの捏造だったことが後日判明した。
これにより米国は約9年間の長期戦で死者5万6千人以上、捕虜・行方不明5403人、負傷者15万人以上を出し、最大の債権国から最大の対外債務国に転落した。米国の同盟国の韓国などにも6千人以上の死者が出た。米国側の南ベトナム軍の戦死者は約26万人、北ベトナム軍と解放戦線の死者は110万人とされている。民間人の死者は北ベトナムで300万人、南ベトナムで158万人と推定される。
米国が宣伝した「ドミノ理論」に反し、米軍が敗北し撤退しても東南アジア全域の「ドミノ現象」は起こらず、ベトナム戦争後の東南アジア諸国で市場経済が進み、経済的離陸をはたした。
そもそも米国がベトナムに介入しなくともベトナムが将来米国を攻撃する力と意図を持つはずは無かったから、ベトナム戦争は米国の自衛戦争ではなく、将来の脅威を妄想したイデオロギーに起因した予防戦争の大失敗と言えよう。
国連憲章第2条4項は、「いかなる国の領土保全または政治的独立に対する威嚇又は武力行使」を禁止しているから、他国が共産主義やイスラム教、同性愛禁止など何を信奉しても武力によって内政に干渉したり、領土の分割を推進するのは違反行為だ。
2001年9月11日の大規模テロ事件の後、米国はアフガニスタンを攻撃、占領し、「テロの再発を防止するための自衛行動」と主張したが、これも一種の「予防戦争」だろう。米国はイスラム過激派集団「アルカイダ」の指導者オサマ・ビン・ラディンがテロ事件の首謀者と見てアフガニスタンのタリバン政権に同人の引き渡しを求めた。
国連安全保障理事会も2000年10月イエメンでの米駆逐艦「コール」への自爆攻撃に彼が関与した疑いがあるなどとして9・11事件前から引渡しを求める決議を採択していた。
アフガニスタンは、同人がテロ事件の首謀者である証拠を示すこと、裁判は米国以外で行うことを条件に引渡すと回答していたが、当時米国は明確な証拠を示せなかったため、「アフガニスタンはオサマ・ビン・ラディンをかくまっている」として2001年10月7日から航空機、巡航ミサイル攻撃を開始、2021年8月31日に米軍が撤退を完了するまで約20年の戦争となった。
2977人もの死者が出た大テロ事件に米国等が憤慨し、報復をしたかった心情は分かるが、外国に犯罪人の引渡しを求めるには十分な証拠を示す必要があるのも当然で、日米犯罪人引渡し条約でも引き渡し要求には多くの資料が必要だ。
日産自動車の元会長カルロス・ゴーンのレバノンへの脱走を幇助した元米陸軍特殊部隊の米国人とその息子の日本への引渡しでも米国側の証拠・資料要求は厳重で日本の検察官は苦労した。
外国が犯罪容疑者の引渡しを求めた場合、確実な証拠もないのに逮捕して気軽に渡せば人権問題で、捜査当局の名折れにもなりかねないからタリバン政府が「証拠があれば引渡す」と答えたのにも一理がある。それを「犯人を匿っている」として米国が戦争を始めたのがもし自衛権の行使だと認められるなら、どの国も思いがけない攻撃を受けかねない。
米国は怒りの感情にかられてアフガニスタンに居丈高な要求をしてその報いを受けた。アフガニスタン戦争の米軍の死者は2400人余、同盟国軍に約1千人、民間請負業者約4千人、米国が作ったアフガン治安部隊6万5千人の死者を出した。
一方、タリバン側の死者は5万人以上、民間人4万7千人以上が死亡したとされる。これではテロ事件の被害者よりも「テロとの戦い」の犠牲者の方がはるかに多く、米軍は敗退し面目を失ったから「予防戦争」にもなっていない。
米国は2001年にアフガニスタン攻撃を始めてタリバン政権を一時崩壊させたが、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官ら「ネオコン」は米国民が「テロとの戦い」に興奮している機に乗じてイラクを攻撃しようとし、「湾岸戦争で敗北後、大量破壊兵器を廃棄したはずのイラクはなお核兵器や生物、化学兵器を保有し、それをアルカイダに渡す危険がある」としてイラク攻撃を扇動した。
ブッシュ(息子)大統領もそれに応じ、部隊をペルシャ湾岸に増派した。国連もイラクの査察を再開することを決定しイラクはそれを受諾、2012年11月から査察団が米国が「怪しい」と言うすべての地点を含み核に関しては247回の査察を行い翌年3月に安保理に「核に関する活動が再開した証拠はない」と報告、化学、生物兵器の査察団も「米国が主張した兵器備蓄や活動の証拠はなかった」と報告した。
米国はなお国連安保理に武力行使の承認を求めようとしたがフランスのドピルパン外相は「査察の結果、何もなかったと分かった。まだ疑うのなら査察を続ければよいので、攻撃の必要はない」と演説、各国の代表団は立ち上がって盛大な拍手を送った。
これに対し米国のブッシュ大統領は「米国が安全保障のために行動するのに国連の許可を得る必要はない」と国連を蹴飛ばすような暴言を吐き、米、英など世界各地で10万人規模の反戦デモが発生するなか、戦争に突き進んだ。
米、英軍はイラクのバグダッドを制圧し親米政権を擁立、サダム・フセイン大統領は死刑になったが、占領して探しても大量破壊兵器は無かったし、世俗(非宗教)派のバース党指導者サダム・フセインと過激なイスラム信者だったオサマ・ビン・ラディンが共謀関係にある可能性は低かった。
ブッシュ大統領や側近のネオコン達もその情報を得ていたはずだが、「9・11事件の背後にはイラクのフセインがいた」などの偽情報で国民を煽った。「イラクを攻撃すれば数十万人の兵力を数年間駐屯させる必要がある」と米議会で述べた陸軍参謀総長のエリック・シンセキ大将(日系人)を事実上更迭してまで架空の将来の危険を力説して予防戦争を始めた。
その結果イラク人ゲリラの激しい抵抗に悩まされ、それに伴って宗派、民族間の紛争も続発、イラクは大混乱になった。米、英軍は2011年に撤退するまでに死者4千8百人、民間の軍事請負業者が1千5百人以上、イラク民間人死者は少なくとも12万人と推定される大惨事を招いた。
今回のロシアの侵攻もウクライナによる大量破壊兵器開発の可能性や、同国のNATO加盟など将来の危険を国民に訴えて戦争を正当化しようとし、出口の見えない長期戦に入り込んだのは米国のイラク攻撃に似ている。
だが戦争の規模と民間人の犠牲は今のところイラク戦争の方が格段に大きい。さらにブッシュ大統領は露骨に国連を無視して武力行使することを公言、イラクの政体転換という究極の内政干渉を公然と目標として掲げて侵攻し、大統領を処刑させた。国連憲章を基礎の一つとする国際社会の秩序はその時点ですでに崩壊していた感もある。
このような唯我独尊的な風潮が東アジアに拡大すれば米中の関係が険悪化するのは必至で、日本は安全保障と経済の両面で危険な立場に立つことになる。
日本は両大国が「予防戦争」に向かうことを防止する「予防外交」に力点を置き、台湾に関しては台湾人の84.9%が独立でも統一でもない「現状維持」を望んでいること(2021年11月、台湾行政院の世論調査)を尊重し「中庸は徳の至れるもの」(孔子)の姿勢を保つことが合理的と考える。
米国は「予防戦争」の常習犯 ブッシュを真似したプーチン |
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【軍事の展望台】ウクライナ侵攻は、泥沼化した米国のイラク攻撃に似ている
イラク戦争=ccbyFuturetrillionaire
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田岡 俊次(軍事評論家、元朝日新聞編集委員)
1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、筑波大学客員教授などを歴任。82年新聞協会賞受賞。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(朝日新聞)など著書多数。
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