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「人権」唱えて大量殺人ー米国の対外政策の矛盾

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【軍事の展望台・アフガン撤退(下)】米「価値観外交」に巻き込まれるのは危険

公開日: 2021/09/20 (ワールド)

【軍事の展望台・アフガン撤退(下)】米「価値観外交」に巻き込まれるのは危険

 8月15日アフガニスタンの首都カブールにタリバンが無血入城し、国外に脱出しようとする外国人や米国に協力していたアフガン人が空港に殺到した際、米国などのテレビは空港でアフガン女性を次々とインタビューし、「タリバンが復権すれば女性の権利が脅かされる」などと不安を報じていた。

 その女性達は英語を上手に話し、服装も西洋風で、米国の指導下にあったアフガン政府や米軍に勤務した人々と思われた。彼女達がタリバンに「敵の協力者」として処罰されるのを恐れ、一刻も早く脱出しようとしたのは自然だが、そのような一握りの女性の声を「アフガン女性たちは……」と一般化するのは正確な報道ではあるまい、と思わざるをえなかった。

 20年間のアフガン戦争でアフガン国民の死者は約17万人、うち民間人は4万7000人と推定され、国外に出た難民は260万人、国内の避難者が400万人だった。アフガン女性には夫や子供、親兄弟を爆撃や占領軍との戦いで失い、恨みを抱く人も多いはずだ。

 上空の航空機、ヘリコプターの音に怯え、難民・避難者として悲惨な暮しをしてきた圧倒的に多数の女性達は戦争がタリバンの勝利でやっと終結したことを祝っているのではないか、と考えた。

 今回、終戦後約2週間で170万人もの難民が帰国したのは異例の早さと言われ、外国人を含む脱出者12万6000人の13倍以上だ。その歓喜の方が主流の現象であろうがそれは報道されず、10人程度の女性が顔のベールや男女別学に反対し、デモをした画像が世界に流れるのは、これまでタリバンを凶悪な敵として描いてきたメディアの偏見と惰性の名残りだろう。

 米国は9・11事件など一連の反米テロ事件の首謀者はアフガニスタンに住んでいたサウジアラビアの富豪オサマ・ビン・ラディンと見て引渡しを求め、アフガン政府は「証拠があれば引渡す」と回答した。

 外国に犯罪者の引渡しを求める側は、犯罪の詳しい内容と証拠などを提示する必要が当然あるが、米国はそれを持っていなかったため「アフガニスタンはビン・ラディンをかくまっている」と言いふらし、英国などと共に爆撃、ミサイル攻撃し、侵攻して占領した。

 仮にビン・ラディンが首謀者であったのは事実としても、アフガン人から見れば一人の外国人の私的行為で、アフガニスタン国家が米国を攻撃した訳ではないから、9・11事件の報復の対象にされたのは「八つ当たり」だ。それによりアフガン人は20年も辛苦し、17万人もが死んだことは途方もない「人権侵害」だ。

 米国人は自国に従わない国の「人権侵害」を激しく非難し、武力攻撃の理由にもするが他国の人命を奪うことは平気だ。

 国連の「世界人権宣言」は第3条に「生命、自由、身体の安全」を掲げている。米国人は他国が「意見、表現の自由」を制限すると批判するがこれは第19条だ。条項の順番が重要性を示すわけではないが、生命の安全がもっとも重要な人権であることは疑いないだろう。

 ユーゴスラビアの内戦中の1999年セルビア領のコソボで「アルバニア系住民に対する大量殺害が行われている」との偽情報に踊らされた、米、英、独、仏などNATO13カ国の空軍1200機が1999年3月24日から79日間セルビアを猛爆撃してセルビア軍をコソボから撤退させ、セルビア軍人546人、民間人約2000人を死亡させた。この事件は「人権戦争」の典型的な例だ。

 古来セルビア領だったコソボには東隣りのアルバニア人が多数入り込み多数派になっていた。彼等はユーゴスラビア内戦を機にコソボの独立かアルバニアとの併合を目指し、「コソボ解放軍」を作って蜂起したが1998年にセルビア軍に制圧された。

 ユーゴスラビア内戦でセルビアと対戦していたクロアチアはコソボのアルバニア系住民に梃入れし、米国の広報会社ルーダーフィン社に依頼してセルビア軍の暴虐を米国の政官界やメディアに吹き込んだ。

 これにだまされた米国務省は「約50万人が行方不明、死亡の可能性あり」と発表、米国などが「人道的介入」と称してセルビアを攻撃し、中国大使館誤爆も起きた。

 コソボを占領したNATO軍は地元のアルバニア人の協力を得て大量殺害の証拠を探したが、戦死者の遺体は2108体しか発見できずそれも前年のコソボ解放軍とセルビア軍の戦闘の死者だった。だがセルビア軍が去ったコソボは事実上の独立を達成することになった。

 ルーダーフィン社の幹部はのちフランスのテレビ局のインタビューで虚報を米国で浸透させた手腕を誇り「民族浄化」のキャッチコピーが効いた、と笑った。

 全く事実無根のデマを信じて他国を攻撃し、2500余人を殺したのは巨大な業務上過失致死事件だが、米国等は謝罪、賠償を行わず、元銀行頭取で民主的選挙でセルビア大統領となっていたミロシェビッチは「独裁者だったから」と批判した。だがそれでは虚報に踊ったことの言い訳にはならない。

 こうした失態に対する批判、反省がなかったから米国は2001年の9・11の1カ月後、何の証拠もなく、その事件の首謀者を「かくまっている」としてアフガニスタンを攻撃、占領したが、当初には米国民の90%の支持を受け、20年の長期戦の泥沼に入って無様な撤退をし、アフガニスタン、イラクなどでの「テロとの戦い」で8兆ドルの失費をして、米国の財政危機と威信の失墜を招くこととなった。

 イラク戦争の前年には国際原子力機関(核兵器担当)と国連監視検証査察委員会(生物化学兵器担当)による再査察が行われ、計978回の査察で何も発見できなかった。これが2003年3月7日に国連安保理に報告されていたのに、ブッシュ(息子)大統領は「米国が安全保障に必要な行動をするのに国連の許可は必要ない」との暴言を吐いてイラクを攻撃、イラク民間人11万人余を死亡させた。

 イラクが大量破壊兵器を保有していると考える根拠はなかったが、大統領とその周辺の要人は情報機関に対し「大量破壊兵器があるという情報はないのか」とせきたて、亡命者などの確度の低い話をつなぎ合わせて自分たちの思い込みを補強した。

 2011年3月にはじまったシリア内戦での反政府勢力への肩入れも「人権介入」の失敗例だ。バッャール・アサド現大統領の父ハフェズ・アサド空軍大将が1970年に政権を握って以来シリアを支配してきたアサド家はイスラム少数派(人口の約12%)のアラウィ派だ。

 国民の大部分はスンニ派だから、騒乱が起きれば軍人の大半は反政府派に参加し、イスラエルと厳しく対立しているアサド政権は倒れると米国は考え、離反する軍人を集めて「自由シリア軍」を編成しようとした。

 だが、イスラエルを支援する米国が後援する反乱部隊に入る将兵は少なく、軍の中核部隊は政府に忠誠だった。そのため、反政府勢力の主力はアルカイダ系の「ヌスラ戦線」などイスラム過激派となり、世界各地からテロ集団が参加し、米国の支援で”イスラム国”も生まれた。

 混乱で徴兵制度が機能せず、脱走兵も少なくなかったから一時政府軍は劣勢となったが、すぐに再編成して徐々に失地を回復、過激派集団の横暴に怒る各地の民衆は自警団を作り、それが民兵部隊に成長して勇戦政府軍に協力した。

 ”イスラム国”はイラクに侵攻したため米軍をそれを叩くことになり、ロシア軍も加わって支離滅裂な戦いとなった。結局、反政府軍はシリア東北の一角に追い詰められ、アサド政権の勝利は確実となった。

 米国、西欧が描いた「アサド独裁政権」対「民主主義を求める民衆」の図はまったくの夢と化し、「人権」をスローガンにした介入は大惨事に終わった。この内戦でのシリア人の死者は40万人以上と推計される。

 米国は「アサドは自国民40万人を殺した」と宣伝するが、他国の反政府勢力を支援するのは間接侵略だ。反乱が起これば政府がそれを鎮圧するのは当然で、それを非難するのは、南北戦争の死者約50万人は「リンカーンに殺された」というに等しい。

 米国が「人権」を叫んで大量殺害をするのは、ソ連が崩壊し、唯一の覇権国となった驕りからでもない。1898年、当時まだ大国でなかった米国は、衰弱していたスペインからキューバを奪取しようとして独立派を支援、「スペイン官憲が民衆を弾圧している」と非難した。独立派が暴動を起こすと「自国民保護」と称して、米海軍初の戦艦「メイン」をハバナ港に派遣し、スペイン当局を威嚇した。

 ところが「メイン」は艦内爆発(冷房のない時代、石炭庫か弾薬庫にたまったガスが原因か)を起こして沈没した。米国の大衆新聞は「スペインの卑劣な攻撃」と煽りたてて戦争となり、米国はキューバを占領、保護国として支配した。

 同時に米国はスペイン領のフィリピンに艦隊を派遣、フィリピン人に独立を約束して蜂起させ、パリ講和条約でそこも米国領とした。だが、フィリピン独立派は米陸軍が来る前に弱小のスペイン軍を降伏させていたから独立を宣言して米軍と衝突、3年間の激しいゲリラ戦となった。

 青年時代にインディアン討伐をしていた米軍司令官は島々を占領すると住民全員を殺すことを命じたり、田畑を焼いて餓死させるなど大量殺害を行い、米議会上院への報告で死者20万人、実際はその数倍のフィリピン人が殺されたと推定されている。

 キューバで人権擁護のために始めたはずの戦争が、最後には大量殺人に終わった惨劇は単なる歴史ではなく、近年も繰り返されている。温和な方法で他国民の人権を守ることは結構だが、人権を守るために何万人もの人々を殺すことは許されないという「共通の価値観」を日本は世界に広めていくべきだろう。

田岡 俊次 (軍事評論家、元朝日新聞編集委員)

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田岡 俊次(軍事評論家、元朝日新聞編集委員)
1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、筑波大学客員教授などを歴任。82年新聞協会賞受賞。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(朝日新聞)など著書多数。
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