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傭兵頼みの撤退策、破綻は必然だった

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【軍事の展望台・アフガン撤退(中)】古来、傭兵は情勢次第で裏切るのが常識なのに

公開日: 2021/09/13 (ワールド)

カブール空港で避難のカタール航空機に乗り込む米大使館員(2021年8月17日)=Reuters カブール空港で避難のカタール航空機に乗り込む米大使館員(2021年8月17日)=Reuters

 8月15日タリバン軍が首都カブールに無血入城すると、米国人や他の外国民間人、アフガ二スタン人対米協力者が脱出をはかって空港に殺到、悲惨な大混乱となった。米軍は7万9000人を輸送、他の諸国によるものを合せ12万3000人が脱出したが、必死に輸送機に乗ろうと争う人々の画像は米国の敗北を世界に示すことになった。

 1975年4月に北ベトナム軍が当時の南ベトナムの首都サイゴンに無血入城した際にも、米大使館で争ってヘリコプターで脱出する人々の状況が放映されたが、この時は停戦の2年後だったから、脱出して空母に収容されたのは米国人1373人、ベトナム人など5595人で、今回はそれと桁違いの規模だった。

 カブールで大混乱となったのはタリバンの進撃が想定外の速さだったことだ。米国では米軍の撤退完了後、アフガン政府軍約20万人と国家警察隊約10万人、計約30万人の治安部隊が少なくとも3カ月程度は兵力6万人程度のタリバンの進出を防ぐだろう、との見通しが有力だった。

 だが8月6日に攻撃に出たタリバンは10日間で、日本の1・7倍の面積、人口3800万人のアフガン全土をほぼ制圧した。第2次世界大戦初期、ドイツ軍はフランスに向けて進撃を始めて35日でパリに入城したが、タリバンの速度はそれをはるかに上回る世界新記録だった。

 これはタリバンの強さよりも、政府軍に戦意がなかったためだ。34州の州都の大部分はほとんど無抵抗でタリバン軍を迎え入れ、首都も無血開城、パンジール渓谷の軍閥だけが抵抗したが制圧された。これは、明治維新の際、徳川家の親藩と譜代大名達が続々と「官軍」に付き、江戸は開城、会津藩などごく一部が抗戦したが平定されたのに似ていた。

 政府軍の兵達は米国に恩義はない、彼等から見れば自国に入り込んでいたサウジアラビア人が9・11事件の黒幕だったとしても、1人の外国人がやったことだ。それに対しアフガニスタン各地を米軍などが爆撃して占領、10数万人の同胞が戦争の犠牲となったのだから、恨みはあっても、米国に感謝し忠誠心を抱く理由はなさそうだ。

 アフガニスタン政府軍と国家警察隊の給与はすべて米国、日本など「国際社会」が負担、装備も大半は米軍の供与で、米軍人が訓練、指揮した傭兵部隊だった。米国が擁立し、米国帰りが要職についていたアフガン政府は傀儡(あやつり人形)政権だったから腐敗がひどく、米大使館は巨大なビルに現地人を含み約4000人もの職員がいた。これは外交が主目的でなく、政治、行政を司る植民地の「総督府」的役割を担っていたことを示している。

 軍も腐敗し、幹部が隊員の数を水増しして報告、その分を懐に入れることが常態化していた。給与は外国が支払うのだから罪悪感は薄かったかもしれない。

 そもそも他国を占領し、現地人を集めて傭兵部隊を作り、自国民と戦わせようとするのは危険極まる戦略だ。生活のため応募しても、古来武勇のほまれが高く、最盛期の大英帝国や軍事超大国だったソ連にも勝ったことを誇るアフガニスタン兵が米軍の従者であることに満足していたとは思えない。

 ソ連軍が侵攻した際にはアフガニスタンの社会主義政府は政府軍5万人を持ち、ソ連将校が各部隊に顧問、教官として派遣されたが、アフガン兵がソ連将校を射殺し、部隊ごとイスラム・ゲリラに寝返ることも何回か起きた。

 1857年5月には当時インドを支配していた英国東インド会社のインド人傭兵(セポイ)23万人が反乱を起し、民衆の支援を得てインド北部全域を占拠した。英国人兵は3万6000人だったが反乱軍の内紛を利用して各個撃破し翌年6月に鎮圧、東インド会社は解散し英国が直接統括することになった。

 1941年に日本軍がマレー半島を南下しシンガポールを攻略した際、英軍のインド兵は続々と投降、約1万2000人の「インド国民軍」を結成、インド独立をめざし日本軍に協力した。戦後英国はその参加者を反逆罪で処刑しようとしたがインドで処刑反対の運動が拡がったため裁判をあきらめ、逆に独立容認に向かった。

 一方、日本も中国での傭兵の反乱で酷い目にあっている。1937年7月29日、北京郊外の通州で親日派地方政権の中国人「保安隊」約4000人が蜂起、日本軍の通州守備隊と日本人居留地を襲撃、在留日本人223人ないし260人が虐殺された。日本軍が「友軍」として育成していた「保安隊」が反乱を起こした原因は、2日前に日本の関東軍の爆撃機が保安隊の訓練所を誤爆、死者、重傷者がでたことと言われる。

 だが、それ以前の7月7日に北京の盧溝橋で日中部隊の衝突が起き、中国軍人に抗日意識が高まっていたようだ。

 今回、アフガニスタン政府軍がタリバンに寝返って撤退中の米軍や民間人を襲うことは幸いなかったが、戦線から離脱するのも反乱の一種だ。織田信長の死去後に柴田勝家と羽柴秀吉が後継者の地位を争い、北近江の賤ケ岳で戦った際、勝家配下の武将として出陣していた前田利家は突如兵を引くことで、旧友秀吉を勝たせ、のちに最有力大名になった。

 今回米軍は自軍の敗退後もアフガニスタン政府軍、国家警察隊の計約30万人がタリバンを3か月程度は食い止めることを前提にし、米軍は5月1日から撤退を開始した。その後、民間人や対米協力者を出国させるつもりだったから、今回の大混乱をアフガニスタン兵の惰弱のせいにする。

 だが、米軍などが撤退し、アフガニスタン政府軍を見捨てても、それが健闘してくれると思うのは非常識な願望だ。

 有能な作戦参謀がいれば4月14日にバイデン大統領が「9・11事件記念日よりも前に完全撤退」を発表していたのだから、5月から民間人、協力者に混乱が起こる危険を説いて出国を勧め、7月末までの3か月間でそれを終了、その後1か月で軍が撤退する常識的な計画を作ったのでは、と思われる。

 いざとなればどちらに銃口を向けるかわからない傭兵をあてにして撤退計画を作るのはあまりにも楽天的、独善的な性向の現れであり、かくも情勢判断、先読みが苦手な国に漫然と追随することの危険を思わざる得ない。

田岡 俊次 (軍事評論家、元朝日新聞編集委員)

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田岡 俊次(軍事評論家、元朝日新聞編集委員)
1941年、京都市生まれ。64年早稲田大学政経学部卒、朝日新聞社入社。68年から防衛庁担当、米ジョージタウン大戦略国際問題研究所主任研究員、同大学講師、編集委員(防衛担当)、ストックホルム国際平和問題研究所客員研究員、AERA副編集長、筑波大学客員教授などを歴任。82年新聞協会賞受賞。『Superpowers at Sea』(オクスフォード大・出版局)、『日本を囲む軍事力の構図』(中経出版)、『北朝鮮・中国はどれだけ恐いか』(朝日新聞)など著書多数。
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