英国のジョンソン首相は、6月6日夜に行われた保守党内における保守党首としての不信任投票をしのいで続投が決まった。しかし、“パーティーゲート事件”での批判に加えて物価の高騰に伴う国民の不満増大、地方選挙での苦戦予想など先行きは厳しい。不信任投票の場はしのいだものの、求心力を失っており、苦しい政権運営が続きそうだ。
今回の不信任投票は、そもそもコロナ禍の真っただ中で、首相が国民に外出や飲食の自粛を求めている最中に、その首相自らを含む官邸スタッフが首相官邸でアルコールを持ち込んだパーティーを頻繁に開催したことに対する国民、議会の強い批判を背景に行われたものである。
“パーティーゲート事件”の詳細は内部調査報告書で明らかにされた。さらに警察当局からジョンソン首相、スナーク財務相に罰金が科せられた。ジョンソン氏は首相として罰金刑に服した初の首相となった。当然のことながらこの“パーティーゲート事件”でジョンソン首相は議会で陳謝を余儀なくされた。
労働党だけでなく保守党内でもジョンソン首相に対する批判が強まった。国民世論の批判が鳴りやまず、世論調査でも保守党支持率が労働党に20%の大差を付けられている。
今回の保守党内の党首不信任投票は保守党議員委員会(1922年委員会)で、ジョンソン氏への不信任を求める書簡数が保守党所属の全下院議員(359名)の15%(54名)に達したために規約に基づき実施されたものである。
もっとも、ウクライナに対するロシアの全面侵攻が勃発する緊急事態の下で、不信任投票の動きはやや衰えていた。ジョンソン首相がウクライナ支援で米国とともに急先鋒となり武器供与(490億円供与を決定)を決定したほか、ウクライナを電撃的に訪問して同国のゼレンスキー大統領と会談するなどの働きを見せて、戦争となると団結する英国の国民性も加わって不信任投票の動きはしばらく下火となったものと見られた。
しかし、30人前後とみられた書簡提出者が一挙に上記の54名に達したのはジョンソン首相に対する国民の批判の大きさに改めて保守党議員が覚醒したからにほかならない。おりしもエリザベス女王の戴冠70周年で休日となって地元の選挙区に戻った議員たちが支持者のジョンソン首相に対する反発の強さに驚いた。同70周年記念式典でセントポール寺院に入ろうとしたジョンソン首相夫妻に群衆から罵声が飛んだことも批判の強さをうかがわせる。
6日の保守党内の不信任投票の結果は、全下院議員359名が参加して信任票が211票、不信任票が148票と信任票が過半数の180票を越えてジョンソン氏の続投が決まった。ジョンソン首相は「政治と国家にとって良い結果であり、これで重要な課題に今後も専念できる」と勝利の声を上げた。そして来週にもエコノミストなどからの批判が強い所得減税を含む経済計画のスピーチをすることを明らかにした。
しかし、不信任投票を前にして下院議員らを集めた場で「スタッフの送別パーティーに参加したが、もし同じことが起きてももう一度やるであろう(would do it again)」と陳謝の言葉がまやかしであったことも明らかになった。今回の信任票59%に対して不信任票が41%に達したことが批判の強さを物語るものと大きく報じられている。
ちなみにテレザ・メイ首相(当時)が2018年12月に強硬に「ブレグジット」を迫るジョンソン氏らが首謀した不信任投票にかけられた時には信任票63%、不信任票37%で不信任の比率はジョンソン氏を下回っていた。それでもメイ首相は半年後に辞任を余儀なくされ、ジョンソン氏が首相の座についたわけである。
ジョンソン首相にはパーティーゲート事件に加えてもう一つの大きな逆風がある。それは著しい物価の高騰で「生計費スクイーズ(ガス電気代、ガソリン代、食費などの生計費の高騰で家計が圧迫される)」が起きて一般国民の怒りの声が高まっていることだ。
さらに不安要因は6月23日に控えている下院の補欠選挙である。「議会でポルノ雑誌を読んでいた」といった下劣な行為で保守党議員が辞任した後に、デボン州のティバートンで行われるほか、西ヨークシャー州のウェイクフィールドでもセクハラ疑惑で辞任する保守党議員の辞任に伴って補選が行われる。いずれも保守党銀の辞任の経緯から見ても保守党が苦戦しそうな情勢である。
ジョンソン首相はこれまで何度も危機的状況を切り抜けてきた。敵方である労働党の党首であるキア・スターマー氏はメージャー首相が一敗地にまみれたトニー・ブレア党首(1997年に首相)のようなカリスマ性もない。しかし、今回の不信任投票で首相の権威が大きく低下したうえ、経済運営や地方選挙で難題が待ち構えており、前途は多難である。