近年これほど注目されたフィリピン大統領の訪日があっただろうか。25日東京に到着したロドリゴ・ドゥテルテ(71)は6月の就任以来、「暴言」の数々や「人権無視」の麻薬対策で一躍世界的な有名人になった。ここまでなら日本にとってただのゴシップだったかもしれない。ところがそのキャラクターの立った指導者が中国に接近し始めたとなると話は違う。南シナ海の領土問題で同盟国の鎖がちぎれかねない。それでも自国内ではなお80%を超える支持率を保つドゥテルテとは一体何者なのか。
ドゥテルテは1945年、レイテ島の港町マーシンで法律家の父と教育者の母の間に生まれた。幼い頃一家でミンダナオ島のダバオへ移り、そこが「ふるさと」になる。父親のビセンテ・ドゥテルテはダバオ州知事などを歴任した後、マルコス政権下で閣僚を務めた人物だ。大物政治家を父にもつ息子は決して名門とは言えない大学に進学し、共産主義に傾倒した時代もある。フィリピンのジャーナリスト、ウィルソン・リー・フローレスは地元紙に書いた記事で若き日の現大統領を「父親をしばしば失望させる反抗的な若者だった」と記している。一念発起したのは父の死後。司法試験に合格し、検事の道を歩み始めた。
ダバオ市長になってからの暴れん坊ぶりはもはや日本でもよく知られている。ラフなポロシャツ姿でバイクにまたがり、犯罪者を徹底的に痛めつける姿はクリント・イーストウッドが演じたアメリカ映画の「ダーティーハリー」に例えられた。しかし、生い立ちから浮かび上がるイメージはかなり違う。エリート一家のやんちゃ息子といったところか。政治家の血筋でなければ市長への道はなかった。超法規的措置も辞さない強引さは「お坊ちゃん育ち」の奔放さも作用しているだろう。
市長時代から犯罪者の殺害まで奨励するドゥテルテには反発があった。一方で劇的に治安を改善した実績があるのも事実だ。大統領選への出馬を否定していた2015年5月、ドゥテルテは地元テレビ番組のインタビューで歴代大統領のフィデル・ラモス、ジョセフ・エストラダ、グロリア・アロヨ、ベニグノ・アキノから閣僚ポストのオファーがあったが、いずれも断ったと語った。放言癖のあるドゥテルテの言葉を真に受けることはできないが、全国にはびこる犯罪をダバオ市長なら何とかしてくれるかもしれないという期待感は根強い。
大統領に就任してからのいわゆる「麻薬戦争」で殺害した麻薬犯は1000人とも3000人とも言われている。その中には女性や子どもも含まれ、殺されたのが元締めの幹部なのか末端の売人なのかもはっきりしない。米欧からは「暴君」と名指しされている。フィリピン国民も麻薬は一掃してほしいが、無差別な処刑を歓迎しているわけではない。地元紙インクワイアラーは就任100日の特集記事を「更正か、抹殺か」と題した。麻薬患者の更正施設などを取り上げ、「我々は抹殺ではなく、更正に光を当てた」と締めくくった。
フィリピンでドゥテルテ流が熱烈歓迎されるのは犯罪への大胆な切り込みが、同じように構造的な貧困や格差といった問題の解決にもつながっていくという希望を抱かせるからだ。アキノ政権下で国の経済は高成長を続け、「アジアの病人」と呼ばれた低迷期を脱した。ところが国内で雇用は生まれず、人口の1割に当たる1000万人が国外で出稼ぎする状況が続く。変革するには無茶をするくらいのリーダーが必要だ。そう思っても不思議ではない。
いずれドゥテルテは麻薬戦争で壁にぶち当たる。取り締まり強化で刑務所や更正施設は早くも満員だ。ドゥテルテが犯罪対策を口実に反対勢力を封じ込めようとしたという元部下の証言も出てきた。暴走すればかつてマルコス政権を打倒した「ピープルズ・パワー」が反ドゥテルテで爆発するかもしれない。結局のところ貧困や格差といった構造問題に正面から取り組まなければ、犯罪を根絶やしにすることもできない。
もう一つ、早晩ドゥテルテがけりをつけなければならないのが対米関係だ。来日の直前に領土問題で対立していた中国を訪れ、その場で「米国と決別する」と言い切った。閣僚に言い訳させたり、自ら修正したり、ダメージコントロールをしているところをみると本気で米国と事を構えるつもりはないらしい。対米追従は流儀に反するが、国民の親米感情は軽んじられない。大国を天秤にかけて有利な条件を引き出そうという、これまたドゥテルテ流の外交戦術なのだろう。「売春婦の息子」とまでののしった米大統領、バラク・オバマの後任が決まる11月8日、どんなメッセージを米国に送るのだろう。
中国では国家主席の習近平とも会談し、存在感をアピールした。2兆5000億円という巨額の支援を取り付ける一方、南シナ海をめぐり中国の全面敗訴となった国際仲裁裁判所の判決については議論を棚上げした。一見すると双方にとってウィンウィンの成果のようだが、支援の中身も領有権争いの行方もよくわからない。とにかく格好はつけた「あいまい戦術」から察せられるのは、外交経験のないドゥテルテの慎重さだ。
ドゥテルテは大の親日家だ。万が一フィリピンをめぐり米中関係の緊張が高まるようなことになれば、日本の役割は一段と重要になる。荒っぽい言葉や態度の奥にある真意を見極めながら、この厄介なアジアのニューリーダーと付き合わなければならない。(敬称略)