ウマ・ルセフ大統領の評価を運転手に尋ねると、ほぼ同じ単語が返ってくる。「コフプサゥン(汚職)」。こう言って首を横に振るのがお決まりの反応だ。
ドライバーは労働者階級であり、労働者党(PT)出身のルセフ大統領の支持層のはずだが、彼らに大統領を擁護する素振りはみられない。
世論調査は正直だ。調査会社ダータフォーリャによると、大統領の支持率は8月でわずか8%。低所得層は10%と高所得層の6%よりやや高く、PTの金城湯地である北部・北東部は9~10%と中西部・南東部・南部の6~7%を上回る。昨年10月の再選後1年足らずにしては寂しい。
不信の主因は国営石油会社ペトロブラスを巡る汚職事件だ。ペトロブラスは同国最大の企業で、石油価格の好調時は国全体の成長を支える屋台骨だった。
2014年度決算において汚職関連で計上された特別損失は62億レアル。14年を通してレアルの対円相場は40円を上回っていたから、判明分だけで当時の相場に換算して2500億円以上が贈収賄などで失われたといえる。
海底の岩塩層の下にある「プレサル」と呼ばれる超深海油田の開発など、ペトロブラスの投資は多大で、国の総投資額の10%近くを占める。その分、受発注などに伴う汚職の余地も大きく、14年3月の捜査開始以降、オデブレヒトなど国を代表する建設会社のトップら50人以上が逮捕され、多数の政治家が捜査対象に挙がっている。
大統領自身も10年まで7年間、ペトロブラスの経営審議会議長を務めており、疑惑と無縁ではない。
国民の怒りを加速するのは経済の悪化だ。最大の輸出相手国である中国の景気減速などで14年は0.1%とほぼゼロ成長、今年はIMF見通しでマイナス1.5%、五輪イヤーの来年も0.7%と惨憺たるありさま。
株価は下がり、レアルの対ドル相場もこの3カ月で2割以上も下落、消費者物価は2ケタ目前だ。失業率も高まり、「サンパウロの大通りでホームレスが増えている」(日本企業駐在員)。
政策は混迷している。政府が8月末に提出した16年度予算案は305億レアルの赤字。従来のばらまき行政の継続などによる。9月9日にS&Pが同国の格付けを投資不適格に引き下げると、14日にあわてて修正予算案を提出、黒字化を打ち出した。
こんな状況でも大統領は辞める気が全くないようだ。12月の訪日意向もその表れだ。日本の常識では、支持率が1ケタに下がり、本人も当該企業の要職にあったとなれば、辞任を迫られるだろう。
地元のベテラン政治記者は「小さな金額の問題で辞任する日本と違い、ブラジルでは賄賂をもらった証拠が出ない限り、辞める可能性は低い。道義的な責任はあるのだが」と話す。
今回は上下両院議長も捜査対象で、上院議員の4割弱に追及の手が伸びる可能性があるといわれる。大統領が辞める場合は政治家の相当数がいなくなるという笑い話もささやかれる。「なんで私だけが辞めなくちゃいけないの」と大統領が考えても不思議はない。
本人に辞める気がない場合は議会での弾劾という選択肢がある。実際、1992年に当時大統領だったコロル氏が汚職で弾劾されて職を去った。大統領交代を望む勢力は弾劾が最有力のシナリオと考えている。
しかし、政党基盤が弱くて議会をコントロールできなかったコロル氏と違い、ルセフ大統領はPTという強固な党を後ろ盾にしている。国民の支持を失いつつも、この政党のメンバーは共通の利害関係があるため、権力維持に結束するだろう。
先の記者も「コロル氏を追い落としたときは、様々な政党・勢力が調整を重ね、まとまった。まだそんな段階ではない」と証言する。新証拠がなければ、このままルセフ体制でリオ五輪を迎える可能性が高い。
中国経済に続く、新興国不振の象徴ともいえるブラジル経済だが、不振の一因である政治の混迷は直りそうにない。どこかにブラジル・ショックが来ないか、心配だ。