2015年10月、習近平国家主席が英国を国賓として訪問、バッキンガム宮殿に宿泊するなど最大限の歓待を受けた。
あとでエリザベス女王から「中国訪問団はとても失礼だった」ときっぱりと批判されるというおまけつきではあった。しかし、中国びいきで知られたオズボーン財務相(当時)は「英中関係は黄金時代に突入した」と自画自賛した。
中国がアジア、中近東、アフリカでの影響力を強めるために設立したアジアインフラ投資銀行(AIIB)に対しては、米国の強い反対にもかかわらず、英国はG7諸国で初めて加盟の意を表明した。
2015年の夏には、中国は人工島建設などを通じて南シナ海における軍事的影響力を拡大、政府、IT企業などに対する公然たるサイバー攻撃、人民元安の誘導などから世界からの非難の的になりつつあった。それにもかかわらず、キャメロン首相は上記のように中国との距離を縮めることに突進していた。
キャメロン政権の狙いは中国企業による英国への直接投資を引っ張り込むことであった。
廃れた北部イングランド、エセックス州のブラッドウェルにおける原子力発電所の建設が代表例だ。中国にとっても英国の原発建設に踏み入ることは原子力政策という国家安全保障面のコア部分にタッチしてグリップを強めるというメリットもあった。
どこから見ても英国の中国肩入れは自由主義圏でもっとも目立つものであった。
しかし、5年経った今日、オズボーン財務相が誇っていたような「黄金時代」の英中関係を見出すのは難しい。
ジョンソン政権はEUからの離脱を決定した。中国、米国などとのグローバルな交易と対内直接投資への重要性は、5年前以上に緊急の課題となっている筈だ。しかし、ジョンソン政権の対中政策はキャメロン政権時代と打って変わって厳しさを増している。
ジョンソン政権は先日、中国の通信メーカーである華為技術(ファーウェイ)が携帯電話の第5世代移動通信システム(5G)ネットワークを建設することを禁止した。すでに5Gを導入している携帯電話会社には、2027年までに撤去することを求めた。
米国トランプ政権が「ファーウェイを使えば機密情報が中国政府に筒抜けになる」と指摘したような強硬な対中政策に同調した形だ。それまで3G、4G の時代から技術力に優れてコストも安いファーウェイへの依存度が強かった。国民もこの決定を支持しており、アンケート調査でも「安全保障上の観点から中国製を使うべきでない」との回答が83%に達した。
ちなみに原発建設についても中国を信頼できないとする見方が今では多数である。在英の中国大使は「もし中国を敵視するような政策がとられれば、手ひどい結果がもたらされるであろう」と貿易面等での報復措置を示唆した。
さらに香港への国家安全法の導入も英国からみれば1997年の香港返還時における「一国二制度」の約束を破ったことに他ならない。ジョンソン政権は必要とあれば300万人の香港市民に英国のパスポートを与えると宣言した。
英国だけが習近平政権の手ひどい扱いを受けているわけではない。豪州や日本も同じだ。しかし、英国に対しては特に手厳しい。キャメロン政権が中国と緊密な関係を築くことによって潜在的な利益を与えてくれるとの期待が立ち消えになったことが大きい。
このままでは世界の中で最も成長率の高い中国経済との関係がブレクシットのさなかに途絶する危険すらある。現に英国経済界の中にはジョンソン政権が中国との緊張を高めることによってブレクシットの下押し圧力を防ぐ手段がなくなる懸念を強めている。
フェアーバーン英国産業連盟専務理事は「中国との交易、観光、留学で15万人の雇用を生み出しており、中国との交易量は200億ポンドと10年前の13倍になっている。中国人留学生の数は5年間で5割近く伸びて全EUからの留学生数を凌駕する存在だ。16大学で中国人留学生からの収入が20%を超えており、中国が留学生を引き揚げれば経営が立ち行かなくなる大学がでてくる」との懸念を表明、中国との長期的な経済戦略を考えるべきだと主張している。
これに対する反論も多い。確かにキャメロン政権は中国資本による対英直接投資の増加、英国の金融街シティに中国市場へのアクセスを飛躍的に増やしてくよう、との淡い期待を抱いていたことは確かだ。
直接投資についてはこの10年間で800億ポンドを投入してくれたが、7割近くが金融と不動産であり、技術進歩を促して生産性を高めるという期待した投資内容とはなっていない。1980年代に日本の自動車メーカーが高度のノウハウを英国工場に注入して生産性を高めてくれた再現はみられなかった。むしろ方向性としてはこの全く逆で、中国が英国の半導体製造などのハイテク企業を買収して中国に最新技術が還元する始末であった。
その一方で中国への市場参入も容易ではない。中国サイドは「製造2025」で明らかにしたようにスーパーコンピューターや半導体などを自国生産することを標榜しているだけに外国資本の参入には厳しい。
いま英国の経済界が恐れているのは、中国政府のバックアップを受けた中国国営企業が新型コロナウィルスの感染拡大後における英国経済の急速な悪化で株価が下落した英国企業の買い占めに入ることだ。
米国と同様に英国でも国民レベルで習近平政権による強硬姿勢への反発は強まっている。しかし、ジョンソン首相が訪英した米国のポンペオ国務長官が提唱した反中アライアンスに直ちに同調するのも難しい。
数か月後にEUからの正式離脱を控える中で、英国経済の中国依存度が大きく、とくにコロナショック後、景気回復軌道をたどっている中国と敵対することは「勝てないケンカ」をするようなものだ、と論評されている。ジョンソン首相が袋小路に入ったような中国関係をどのようにハンドリングしていくのか注目される。