3歳の男児の遺体が、海岸に打ち上げられた写真を皮切りに「難民」への注目が一気に高まった。未だ戦闘の続くシリア紛争による難民は、今年に入って累計400万人を越え、欧州の指導者たちは、次々と迫る難民への対応に迫られている。
世間の注目は、海を渡る難民に注がれるが、一方、陸路で安全な場所を求める難民も多くいる。シリアの隣国であり、世界最大規模の難民キャンプのザータリキャンプ(最大収容人数13万人)が存在するヨルダンに入り、シリア難民に話を聞いた。(アンマンにて、板倉陽佑)
シリア南部の町ダラアから来たワシーム (24)は、妻と4ヶ月の息子をシリアに残したままだ。2ヶ月前に、アサド政権が仕掛けた地雷の爆発に巻き込まれ、吹き飛ばされた破片で目を負傷し、ヨルダンに緊急搬送された。
全盲のリスクもあったが、左目は助かった。しかし、以前の50%ほどの視力しかない。
現在は、アンマン市内のマカーシド病院に入院している。南部のダラアは、政府軍による空爆も頻繁に行われているが、ワシームは治ったらすぐにシリアに戻るという。「どんなに危なくても家族がいる故郷だ。それに息子に会いたくない父親なんているかい」と語った。
マカーシド病院は、2階と4階を難民病棟としシリア難民たちを受け入れている。難民の治療費は、国連が保証するため難民の費用は無償だ。昨年から受け入れを開始し、40床以上あるベッドはいつも満杯である。
看護士長のウサーマ(25)は「紛争でケガをした人々は、厳しい状態の患者ばかりだ。看護士、医師にはかなりのプレッシャーがかかっている」と話す。
ダラアから、10歳の弟と共に逃げてきたモハンマド(14)は、ここ数日の砂嵐で肺を痛め入院している。「家に爆弾が落ちた。知らない女の人と一緒に弟と逃げてきた」両親は、離婚し父とシリアで暮らしていた。
爆弾が落ちた直後のことは、あまり思い出せず父親の安否も分からない。現在は、弟と養護施設で生活している。モハンマドは「シリアには戻りたくない。(お母さんのいる)エジプトに行きたい」と語った。ダラアでは、空爆が頻繁に行われ、毎日のように一般市民が亡くなっている。
このような怪我を負った人々向けに、アンマン市内では、ヨルダン人によるシリア人支援も行われている。アンマンに拠点を置くNGO(非政府組織)、AMR(Arab Medical Relief)は、市内に暮らすシリア人へのリハビリを行っている。
運営するリハビリ施設には、老若男女問わず60人のシリア人が通う。「罪のない彼ら(シリア人)に何かできることをしたい」自身もシリアにルーツを持つという女性職員のサラ(29)は語る。
この施設に通うシリア人男性のオバダ(20)は、3年前シリア南部のダラアで政府軍に背中を撃たれ下半身不随となった。今は、車椅子で生活を送る。今は、「自分と同じような人々に、何かしてあげたい」と障害平等研修(DET:disability enquality training)のトレーナーを目指している。
五体満足でヨルダンに辿り着いても、安心して暮らしていけるわけではない。UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、アンマン市内で暮らすシリア人難民の86%は毎日平均3.2ドル以下で生活している。
2ヶ月前に、シリアの激戦地ホムスから来たアドゥハム(27)は7人家族。妻と足の悪い母親、5歳から10ヶ月の4人の子供を抱える。6畳一を間借りし、家族で寝泊りしている。風呂、トイレは近所の家に借りるという。
一家は、16日間をかけて歩いてヨルダンへの国境に入り、首都のアンマンに辿り着いた。「母親は、まだ一回しか病院に行かせてあげられていない」アドゥハムは、20代とは思えない疲れきった顔で言った。
ヨルダン国内では、難民は仕事に就くことができない。加えて、ヨルダン政府は、今年に入ってこれまで難民に配給していたフードクーポンの額を、毎月一人あたり24ヨルダンディナール(JD、約4000円)から、家族構成に応じて10JD(約1700円)、5JD(約850円)、配給なしの三段階に変更した。
難民登録のために新しいIDの発行も決め、その発行には60JD(約10000円)の費用がかかる。新しいIDがないと難民は、病院での受診も学校への通学も許されない。
今回の取材では、30人以上のシリア人に取材をしたがそのほとんど全員が「シリアに帰りたい」と述べていた。中には、危険を冒しても紛争中のシリアに戻ると語った人もいた。しかし、多くはいまも帰郷の念を持ちながら、異国にて、故郷に平和が訪れるのを待っている。
※障害平等研修(DET:disability enquality training)
障碍者における社会的な差別を撤廃するために行われる啓発活動。