北朝鮮が予定通り長距離弾道ミサイルの発射を強行した。この事態を受けて、米韓両国は米国の開発した迎撃システム、THAADシステムの配備に向けた公式協議を始めると発表した。
THAADとは、Terminal High Altitude Area Defense (終末高高度防衛ミサイル)の略称で、弾道ミサイル防衛(BMD)システムの1種だ。
THAADシステムは、目標に向かって落下するターミナル(着弾間近の)段階にある弾頭をPAC-3より高い高度で破壊するためのミサイル・システムである。報道では、今回の発射が韓国の同システム導入の動機と見なしているが、その根拠は薄い。
なぜなら、北朝鮮は既に北緯38度線の近くに長距離砲や多連装ロケットを集中配備してソウルを砲撃できる態勢を取っている。韓国国防部は、北朝鮮が1時間でソウル全域に約25,000発の砲弾を降らせることが可能で、ソウルの約3分の1が破壊されると分析している(「主要国の軍隊第3北朝鮮軍」(平成25年3月陸自研究本部))。
これら砲弾及びロケット弾は短距離ゆえに短時間で着弾するため、BMDシステムは機能しない。また今回北朝鮮が発射したような長距離弾道ミサイルの目標は当然、韓国より遥か遠方だ。
従って費用対効果比を考慮すれば韓国が、THAADシステムを今更導入するメリットは殆ど見当たらない。
米国にとっては韓国がTHAADシステムを導入するメリットは大きい。同システムを構成する地上配備型のXバンドレーダーが北朝鮮だけでなく、中国も監視できるからだ。
このためTHAADの韓国配備を巡っては、中国が自国の監視目的だとして強く反発した。韓国もこれに遠慮して導入を渋ってきたという経緯がある。
韓国は、米中のこの綱引きの中でやむなく米側に付くことを選択させられたのであろう。今回の米韓合意により、米国は中国及び北朝鮮弾道ミサイル包囲網をより緻密にすることに成功したと言える。
韓国より先んじて米国の弾道ミサイル包囲網の一翼を担っているのが日本だが、米国の意向を忖度して、米国へ向かう弾道ミサイルの迎撃が近年の検討課題であった。この課題に対する制度面での整備が集団的自衛権行使容認の閣議決定(平成26年7月1日)であった。これにより、憲法解釈上それまでは自国に飛来するミサイルしか迎撃が許されなかったのが、他国に向かうミサイルの迎撃も認められることになった。
しかし、北朝鮮から米本土に向かうような長距離弾道ミサイルは飛翔高度が高いため(慣性の法則で飛ぶ弾道ミサイルは射程が伸びるほど飛翔高度が高くなる)、ミッド・コース(エンジンが切り離されて弾頭だけが飛んでいる状態)段階での迎撃を担うSM-3ミサイルの現状の射程距離では届かない(ターミナル段階を担うPAC-3は論外)。あまり知られていないが、この事実は政府統一見解(内閣衆質184第5号平成25年8月13日)が認めている。
このためSM-3の迎撃高度を伸ばすことが求められる。だが、構造効率の関係で飛距離(飛翔高度)を伸ばす場合、通常はミサイル本体を大きくする必要がある。イージス艦の垂直発射装置に収納する必要上、大型化には限界がある。
そこで高度0から始まるブースト(ロケットエンジンで上昇・加速している)段階で迎撃してしまえば、上記の問題はそもそも生じない。
実は、航空自衛隊は秘密裏にブースト段階での迎撃を可能とする兵器システムの実用化に着手している。その事実を示す資料が、「航空宇宙技術動向が航空防衛に及ぼす影響に関する研究(航空機搭載型弾道ミサイル対処手段)」(開発集団研4号(22.6.28)別冊付録第3)と題する航空開発実験集団司令官が航空幕僚長に宛てた報告書である。
同報告書は、「空自指定研究」(空幕長が直轄部隊等の長に指示する研究)に対する成果報告書であり、空自の将来の防衛構想および防衛力整備の方向を示す「航空長期防衛力整備指針」の基礎資料となる「科学技術見積もり(軍事科学技術)」のために作成されたものだ。
従って「頭の体操」の一環として作られたものではなく、構想段階→確定段階→装備化段階→運用段階という順序で実用化に至る研究なのだ。
なお研究の実施時期は平成21年度であった。ブースト段階での迎撃は、弾道ミサイル防衛構想の当初から米国は航空機搭載レーザー(AirborneLaser)の開発を進めてきたが、最近は航空機搭載型弾道ミサイル対処システムも進められている。このシステムは、弾道ミサイルを航空機に搭載してブースト段階の弾道ミサイルの迎撃に使用するというものである。
同報告書では弾道ミサイルを迎撃可能なレーザーを近年中に開発することは困難との見解を示している。一方で、航空機搭載型弾道ミサイル対処システムに必要な主要技術は国内で保有していると結論付けている。
政府はBMDシステム導入の際、採用するシステムの中には、他国に向かう弾道ミサイルを迎撃する可能性が残るブースト段階での迎撃を行うものがないことから、集団的自衛権の問題は起こらないことをその正当化の理由の1つに挙げていた。
しかし、導入決定の閣議決定(平成15年12月)から6年後には既に集団的自衛権行使につながる研究が行われていたのである。当時この事実が世間に漏れれば大変なスキャンダルになっていたことであろう。
また平成21年9月には鳩山内閣が成立しており、当時この研究が政府レベルで認められる可能性は極めて低いと思われた。もし空自が今日の政治状況を予測してこの研究を進めていたとしたなら、大した「慧眼」であったと言えよう。