批判の嵐に見舞われていた英国のジョンソン首相が7月7日、ついに保守党党首、首相の辞任を発表した。
ジョンソン首相辞任に至る経緯を振り返ると、2020年、コロナ危機の最中に国民には外出禁止など厳しい行動制限を強いたにもかかわらず、自らは首相官邸内で送別慰労会などのパーティーを盛んに行っていた、いわゆる「パーティーゲート事件」に対する非難が最初の躓き(つまづき)であろう。
最初のうちは「公務の一環だ」「禁止されていると誰も教えてくれなかった」とシラを切っていたが、事実関係が明らかにされる中で、最後は謝罪に追い込まれた。行動制限に違反したことで、警察から罰金を科されるという史上初の不名誉な首相となった。
親の死に目にも立ち会えなかった親族をいたなど厳しい目にあってきた一般国民が反発を強めた。当然のことながら野党労働党は辞任を要求したほか、保守党内でも公然と批判が高まっていった。
パーティーゲート事件に対する国民の批判が強まる中、6月6日に保守党下院議員による党首としての信認投票がおこなわれた。下院議員359名のうち、信任が211人(58.8%)、不信任が148名(41.2%)と約4割が不信任を投じたことが驚きをもって迎えられた。
5月5日の統一地方選挙で大敗したのに続き、6月下旬に行われた2地区の下院補欠選挙では保守党候補が全敗した。選挙民がパーティーゲート事件に対する批判を強めていったことが最大の敗因とみられた。加えて、ガソリン価格、電力料金、食料品価格などが急騰する生活苦(Cost of Living Crush)のなかで選挙民がジョンソン政権に対する批判を強めたことも大きく響いている。
元々、保守党議員はジョンソン氏が2019年の総選挙で大勝したうえ、その後のコロナ対策やウクライナに対する支援など剛腕を発揮して国民の人気を集めていた、いわば選挙に強いから支持してきたわけだ。
これは万国共通である。これがパーティーゲート事件で、信頼を失った指導者像が急速に広まったうえ、下院補選で全敗するという事実の前に、議員の間で「ジョンソン政権が続けば自らの選挙が危ない」との不安が高まっていった。
「千本目のわら」となったのは、ジョンソン氏が指名したピンチャー院内副幹事長の性的問題疑惑問題だ。ジョンソン氏はそうした性癖があることを3年前に報告を受けていながら「知らなかった」と否定した。しかし、パーティーゲート事件と同様に事実を突きつけられて謝罪に追い込まれた。
古い話であるが、ソ連のスパイ行為を行っていた売春婦、モデルであったキーラー嬢と肉体関係にあったプロヒューモ陸相が辞任に追い込まれた1962年の「プロヒューモ事件」は同氏が「そういう関係はない」とうそをついたことにあった。嘘つきというのは最も卑しい行為だと英国人は考えている。
こうした中、7月に入ると、ジョンソン首相への批判は一段と高まっていった。スナーク財務相、ジャピト保健相らの有力閣僚がジョンソン首相の辞任を公然と要求、閣僚や政府高官50人余りがいっせいに辞表をたたきつける事態となった。
さらに上記の党首不信任投票を、一年間は再投票できないという内規を改正してただちに党首辞任要求が再提出できるように急速に事態が展開していった。多くの保守党議員が辞任要求に賛同して今度は不信任が成立する、との見通しも強まった。
これまで何度も窮地をしのいできた「サーバイバー(生き残る人)」と呼ばれたジョンソン氏も今回は生き残りを果たせなかった。ジョンソン首相は、四囲の情勢に押されて7月7日、やむなく辞任に至ったものである。「世界最高の仕事を続けたかった」と無念の情がありありと見て取れた辞任会見であった。首相在任から約3年での辞任表明となった。
ただ、次の党首選で新党首が決定するまで首相の座にとどまるとの意向を示している。保守党党首選挙は2人の決選投票に至るまで候補を絞っていくので2~3カ月かかるものと予想されるので10月の党大会まで首相を続けるかもしれない。それでは保守党の人気が落ちるとして、党首選の早期開始、さらにはラーブ副党首を臨時代理に担ごうという動きもある。
次期首相候補としては、すでにスナーク前財務相、ブレイバーマン法務長官らが立候補を表明したほか、ジャビド前保健相、トラス外相、ウォレス国防相らが有力候補として名前が挙がっている。
筆者がジョンソン氏を保守党の有力政治家として初めて意識したのは2008年にロンドン市長に就任した時だ。当時から奇矯な行動、大胆な発言で目立っていた。ジョンソン氏の政治キャリアを決定づけたのが2016年6月のEUからの離脱の是非を問う国民投票で離脱を支持したことだ。ここで盟友キャメロン首相と袂(たもと)を分かつこととなった。
当時、英国の政治通に聞いたところ、「2016年2月にEU離脱を支持表明するときもジョンソン氏は迷いに迷ったと吐露したように強い信念でEU離脱を推進すべきと思ったわけではなかった。首相の座を目指すにはここでライバルのキャメロン首相と違う路線で勝負に出るしかなかったためだ」のが真相のようだ。
国民投票前の反EUキャンペーンでは先頭になってEU離脱を訴えた。その際に「EUへの補助金拠出は毎週3.5億ポンドに達する。この金があれば英国で毎週新しい病院が建設できる」といったポピュリズム的な言動で大衆にEU離脱のメリットを説いた。しかし、それが真っ赤な噓だとばれて謝罪にいたった。
国民投票の結果は僅差ながらEU離脱に決した。キャメロン首相は直ちに辞任した。ジョンソン氏は賭けに勝ったわけだ。その後、ジョンソン氏はキャメロン首相の後任として名前が挙がったが保守党党首選挙には名乗りを挙げなかった。党首選で勝利したテレザ・メイが首相に就任、ジョンソン氏は外務大臣に任命された。外相としてはさしたる実績を残していない。フランス外相から「ジョンソンはうそつきだ」と激しく批判されたのが記憶に残る程度だ。
しかし、2018年7月にメイ首相の穏健なEU離脱方針に反発して外務大臣を辞任した。2019年6月にメイ首相が党首辞任を表明したことを受けてジョンソン氏は党首選挙に出馬、ハント外相を破って新党首に選出され、7月24日に第77代首相に就いた。
ここからがジョンソン氏の真骨頂である。2019年8月、ジョンソン首相は9月12日から10月13日までの間に議会を閉鎖、これによってEU離脱反対派の議論を制限して10月末が期限のEU離脱の強行突破を狙った。
下院議長から「憲法違反だ」と批判されても動じなかった。さらに強硬離脱に反対するハモンド元財務大臣、チャーチルの孫や尊敬を集める最年長の現職議員ら21名を政府の方針に逆らったとして保守党から追放した。
このような暴挙ギリギリの「剛腕」を発揮したことは非難もあったが、一方で何としてもEU離脱を成し遂げようとするカリスマ性のある政治家との評価の声も高まった。こうした中、12月の総選挙では「ブレグジットをやり遂げる(Get Brexit Done)」とのスローガンのもとで、国民の支持を集めて保守党は歴史的な圧勝を収めた。
その後、新型コロナウィルスの感染拡大では感染者数2,300万人、死者数18万人と世界でもトップランクとなっている。当初集団免疫の獲得をめざしていたためだ。その後は、上記のように厳しいロックダウンなどを実施して感染拡大に努めた。しかしながら、ジョンソン首相自身も2020年3月に陽性反応を示して一時重体になったが、4月下旬には公務に復帰した。
ウクライナでの戦争ではフランス、ドイツなど内心では早期停戦を欲するマクロン大統領などを牽制したうえ、逸早くキーウに入って武器供与などで先陣を切り、ウクライナ側の評価は高かった。ウクライナのゼレンスキー大統領もジョンソン首相の辞任を惜しんだ。
EU内でのジョンソン首相の評判は歴代英国首相の中でも最悪の部類にある。ジョンソン首相に対する批判の源泉は約束を平気で反故にしようとする姿勢にある。
EU離脱交渉で最難関と言われたのはアイルランド問題である。英国領の北アイルランドとアイルランド共和国の間で国境検閲所、監視カメラが復活して国境管理が厳しくなると、血で血を洗ったアイルランド紛争が再燃しかねない。
そこで「北アイルランド議定書」を締結して国境での検閲を回避した一方で北アイルランドの自主性は大きくそがれた。辞任直前の6月17日にはこの議定書の見直しを申し入れて国際条約違反だとEU側の激怒を買っている。
ジョンソン首相は、一時はそのポピュリストぶりやボサボサ頭で庶民性も売り込むなど国民の人気も高かった。また、名門出身で形式に拘泥しない「やんちゃ坊主ぶり」や放言癖も却ってカリスマ性を高めたと言えなくもない。
またウクライナに対する積極支援もある意味で計算づくであった。第二次大戦中のチャーチルやフォークランド紛争のサッチャーが好例であるが、戦争が起きると英国民は一致団結してリーダーを支持する。
チャーチルの伝記まで書き、英雄が国家を率いるときに国家は強くなるという史観を有するジョンソン氏であったが、尊敬するチャーチルのようにはなれず、さぞかし無念であったろう。